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 Posted by ミリタリーブログ  at 

遺品の経緯

ちょっと前、以前居た会社の女子社員が祖父の遺品を持って来ていたのを紹介しましたが、木曜にまた遊び・・・じゃ無い、打ち合わせに行ったらまた色々持って来ていました。

ちなみに最初に持って来ていた勲章や徽章はどんな物か大体判りました。

勲章は旭日賞、瑞宝章。これは今でも有りますね。
小さい徽章類は
・支那事変従軍記章
・昭和六年乃至九年事変従軍記章 (満洲事変・第一次上海事変)
・大礼記念章(昭和天皇即位の記念)
・紀元二千六百年祝典記念章
・赤十字社章
等が判りました。全く判ってない物も有ります。
あ、少将の襟章も入ってます。
その時はおじいさんの名前は聞いていなかったので「ネットで検索かけたら何か記録が出るんじゃない?」とアドバイスはしておきました。
で、木曜行った時、検索結果を聞いたら中国のサイトに一杯出て来たが読めないと・・・
そりゃ支那や満州事変に関わっていたらねぇ・・・。

で、終戦の頃は戦車学校の校長だったと聞きました。
それと一杯余っていると言うことで当時の名刺ももらいました。(コレで調べ易くなった)

今の名刺より小さいです。将軍にも名刺って有ったんですね。
まさか戦後何十年も経ってこんなモノをもらうとは・・・。

その他新たに会社に持って来ていたもの。

何だかは判りません。

見ての通り手帳です。

中に大正3年に陸軍士官学校に入っていたのは読めた。

コレは戦車です。

作戦立てる地図に並べるコマだそうだ。
(そういうのを他の親戚から聞いて来たらしい)
地図も一部残っているらしい。

これはひょっとするとかなり貴重か?載せてイイのか??

『台賜』・・・コレをなんと読むのかも判りません。
ただ、賜り物なのは確か・・・。
どうも大韓帝国の皇太子からの物のようです。

なんかもうビックリだ。
その他家に有る大きな物や何だか判らないものを撮った画像も見せてもらいました。
軍刀も鞘だけはどこかに有るはずとか言っていたし。(刀は回収されてしまった)

で、名刺もらったので検索かけてみたのですが、やっぱ中国語のサイトばっか引っかかる。
そして気が付いたのが一部名前の漢字が今と違う・・・そこを今の漢字に変えたら多少出て来た。

昭和8年に『戰車の用法及對戰車戰闘法』って教本を書いてますね。
満州での事はわからないが、終戦間近に千葉陸軍戦車学校の校長だった。
その後は戦車学校を解体した本土決戦用部隊の戦車第4師団司令部付きになったよう。
『旧陸軍戦車隊育ての親といわれる○○○○さん』なんて記事も出て来た。

あー、結構凄い人だったんだねー。

でもこの階級だとB、C級戦犯に扱われていたよう。
その女子社員から聞いたが、戦後は一部親戚からかなり嫌われていたりしたそうだ。
そのせいか祖父は戦争中の事を語るのを嫌がったし、あまり語らなかったそうです。

英霊の残した物をネタに・・・とか言われそうだが、前にも書いた通りこの女子社員の親族関係は全くこの手の物に興味も愛着も無く(嫌われていたからと言うのも有るのだろう)邪魔な物扱いらしいが、将だしどんな経歴だったかもう少し確認してあげようかなと・・・。

ちなみにこうやって調べていたら、古物商で勲章や徽章を売っている所も見つかって、上の勲章や徽章なんかも物によっては一個で20万以上の売値の付いている物も有った。
それを女子社員に言ったら目が泳いでいたわ(笑)。
もうちょっと調べるまで残していてね〜。  
タグ :日常資料


2013年07月06日 Posted by マール  at 04:12Comments(5)資料